鉄腕の歩み 鉄腕の栄光 鉄腕グラフ 日刊スポーツ連載 鉄腕人生

 



年齢 稲尾の足跡
1937(昭12) 6月10日、大分・別府市で7人兄弟の五男として生まれる
1938(昭13)  
1939(昭14)  
1940(昭15)  
1941(昭16)  
1942(昭17)  
1943(昭18)  
1944(昭19) 兄の満造、今朝五郎が出征
1945(昭20) 父に漁師の訓練を受けるようになる
1946(昭21)  
1947(昭22) 10 友人らと三角ベースで遊び始める
1948(昭23) 11  
1949(昭24) 12 都市対抗野球で別府星野組優勝、パレードでユニホームに憧れる
1950(昭25) 13 別府中部中入学、野球部入部し秋から正捕手。兄満造事故死
1951(昭26) 14 別府に新球場完成、東急-近鉄の記念試合を観戦
1952(昭27) 15 中学野球大分県大会で優勝。甲子園を夢見て父に進学直訴
1953(昭28) 16 別府緑丘高(現芸術緑丘高)商業科入学。秋から投手転向
1954(昭29) 17 エースとして夏の県大会出場、2回戦2-3で大分舞鶴に敗退
1955(昭30) 18 夏の県大会は準決勝で佐伯鶴城に敗れる。西鉄入団が決まる
1956(昭31) 19 3月開幕戦でデビュー。5月高橋戦で初勝利。21勝で新人王
1957(昭32) 20 7~10月の20連勝で「鉄腕」の異名。35勝で最多勝、MVP
1958(昭33) 21 2年連続MVP。日本シリーズ4勝で「神様、仏様、稲尾様」
1959(昭34) 22 映画「鉄腕投手稲尾物語」撮影、公開。荒木律子さんと見合い
1960(昭35) 23 律子夫人と挙式。20勝
1961(昭36) 24 42勝。長女多香子生まれる。福岡市内に自宅兼アパート建設
1962(昭37) 25 中西新監督のもと投手コーチを兼任。通算200勝達成
1963(昭38) 26 二女公美子生まれる
1964(昭39) 27 右肩痛で登板6戦、0勝に終わる
1965(昭40) 28 6月、595日ぶり勝利。三女恭子生まれる
1966(昭41) 29 福岡市内に一戸建て。最後のタイトルとなる最優秀防御率獲得
1967(昭42) 30 8勝9敗、規定投球回にも届かず
1968(昭43) 31 9勝11敗、防御率は2.77でリーグ5位。四女好映生まれる
1969(昭44) 32 1勝に終わり現役を終える。「黒い霧事件」のさなか監督就任
1970(昭45) 33 初采配のシーズンで最下位
1971(昭46) 34 優勝の阪急に43.5ゲーム差、勝率.311で2年連続最下位
1972(昭47) 35 3年連続最下位。オフに西鉄が球団譲渡。母カメノ永眠。
1973(昭48) 36 太平洋クラブの指揮を執る。前期4位、後期5位
1974(昭49) 37 前期3位、後期4位にも、オフに監督解任。野球評論家に
1975(昭50) 38  
1976(昭51) 39  
1977(昭52) 40  
1978(昭53) 41 中日投手コーチに就任
1979(昭54) 42 オフに中日退団
1980(昭55) 43 福岡への球団誘致活動を始める
1981(昭56) 44  
1982(昭57) 45  
1983(昭58) 46 オフ、この年最下位のロッテ監督に就任。4年ぶりユニホーム
1984(昭59) 47 ロッテを2位に導く。勝率.557
1985(昭60) 48 2年連続の2位となったが、優勝の西武とは15ゲーム差
1986(昭61) 49 4位、ロッテ監督を勇退。野球解説者に
1987(昭62) 50  
1988(昭63) 51  
1989(平元) 52  
1990(平2) 53  
1991(平3) 54  
1992(平4) 55  
1993(平5) 56 競技者表彰で野球殿堂入り
1994(平6) 57  
1995(平7) 58  
1996(平8) 59  
1997(平9) 60  
1998(平10) 61  
1999(平11) 62  
2000(平12) 63 西部日刊スポーツ、RKB評論家に。プロスポーツ文部大臣顕彰
2001(平13) 64 マスターズリーグ福岡ドンタクズ監督に
2002(平14) 65  
2003(平15) 66  
2004(平16) 67  
2005(平17) 68  
2006(平18) 69 プロ野球人生50周年パーティー、ソフトバンク王監督らが祝福
2007(平19) 70 別府市民球場と稲尾記念館オープン。11月13日悪性腫瘍のため急逝