たくさんのおくやみメールありがとうございます

- 07年11月14日の通夜。多くの方々に参列していただきました
いただいたメールの一部をご紹介します
11月13日の早朝以降、全国から(海外からも)故稲尾和久へ数多くのメールをいただいております。3日間で200通ほどになりました。その一部を以下に紹介いたします。ご紹介したいお話が多かったため、2ページ目も作成しました。勝手ながら、ご芳名は省略させていただきます。メールをお送りいただく際は「鉄腕広場」からどうぞ。
【男性】
突然の訃報で言葉を失っております。
現役時代の稲尾さんを見たことはありませんが、父親からよく聞かされており、残された数々の大記録とともに、稲尾さんこそは史上最高の大投手と尊敬していました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
【男性】
稲尾和久氏の ご冥福をお祈り申し上げます。別府市立中部中学へ昭和36年入学の後輩です。
中学の玄関には 中学野球部の勇士の写真があり、稲尾氏の若かりし姿が当時ありました。そのことを昨日のことのように思い出します。
映画 鉄腕稲尾物語では球場での応援にでたこともあります。
今は大阪に在住ですが、近々別府に行きますのでそのときはぜひ記念館により、あらためてご冥福をお祈りしたい。
70歳の若さで
風となりぜひプロ野球の発展の追い風となってほしいと思います。
【男性】
久留米出身で現在長野県に住む34歳の者です。今回の突然の稲尾さんの訃報を聞いて非常に驚き、悲しくなりました。
現役時代は全く知りませんが、ロッテ監督時代に平和台に試合に来られた試合を小学校の時に見に行って(初めてのプロ野球観戦)、投手交代を告げにマウンドに稲尾さんが向かうと、観客の方々が「ピッチャー稲尾~!」と叫んでいたのを思い出します。
稲尾さんが雑誌やTVで語られているのを聞くと非常に大きな心と優しいお人柄であるといつも思っていました。稲尾さんの記事を見ると気がつけばいつも真剣に読んでいたような気がします。
九州を離れた人間だからかもしれませんが、私の郷土愛を強くして下さる存在であったかと思います。
稲尾さんの数々の栄光の記録、常勝西鉄ライオンズはいつまでもどの世代でも本当に私達九州の人間の誇りです。西鉄で、太平洋クラブで、ドンタクズで、RKBで、いつもいっぱい私達を楽しませ、勇気づけてくださいまして本当に有難うございました。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。本当にお疲れ様でした。
【女性】
こんにちは、始めてメールします。
ビックリしました。
つい最近まで、テレビで拝見してたのにって。
「今日感テレビ」を見させてもらってて
優しげで楽しい稲尾さんが、とても好きでした。
野球を知らない私で、とてもすごい人だっていうのはほんと失礼なのですが、知りませんでした。
「今日感テレビ」は、ほんと楽しい番組でそこで稲尾さんを、これから拝見できないのはほんと寂しいことですが、ただただ、ご冥福をお祈りしたいと思います。
今までお疲れさまでした。
ありがとうございました。
ゆっくりお休みください。
【女性】
ご冥福をお祈り致します。
神様、仏様、稲尾様、父からよく話を聞きました。
物心ついた時には、父と同様に西鉄の大ファンとなりました。
私自身は、稲尾さまのご活躍を見た事はないのですが、父のスクラップブックを見て育ちましたので、大変に身近な存在でした。
私が稲尾さまを見たのは、ナゴヤドームでのマスターリーグ!!
福岡ドンタクズの監督として、出場された時が、初めてです。
『この方が、あの偉大な投手の稲尾さまなのだ!』と、心に刻みました。
数々の伝説は、私の心に残っています。
亡き父へ希望と活力をありがとうございました。
お疲れさまでした。ありがとうございました。
【男性】
今朝、訃報を聞きびっくりしました。
中日ドラゴンズのピッチングコーチ時代、“あ、サインですか?私でいいんですか?いいですよ。”とおっしゃられてキャンプでサインをいただきました。現役時代のあの鉄腕と全く違う、穏やかな物腰とやさしいお言葉は忘れることができません。
中日の守りのときはベンチでいつも立ってごらんになっていましたね。投げているピッチャーと同じ気持ちで戦っているんだなと思っていました。
ぜひもう一度おあいしたかった。
やすらかにお眠りください。本当に感動をありがとうございました。合掌
【女性】
訃報を知りショックです。いつもテレビの中でニコニコとしていらしたのに。
現役のお姿を生では知りませんが、私の中では、大好きな隣のおじいちゃんでした。ご冥福をお祈りします。
【男性】
突然の訃報を聞き、大変驚いております。心より、ご冥福をお祈り致します。
小生は、北九州市の戸畑生まれでございまして、小さい頃より、西鉄ファンの近所の方々と、自宅にあったテレビを囲んで、応援しておりました。
その後、関西(和歌山)へ就職してからも、西鉄時代かのチームへの愛着もあり、声援しております。
特に、稲尾選手には、あの「神様・仏様・稲尾様」の言葉が幼い小生の耳にしっかりと印象づけられておりました。
やがて、結婚して家庭を持ち、長男が生まれた時、命名となった時、小生は、大それた事とは存知ましたが、稲尾選手のお名前「和久」を頂く事に致しました。
和歌山の和に久しいと書く「和久」は、ぴったりの名前と評判(家族)も良く、すんなりと決定致しました。
お陰様で、子供も元気に社会人と成り、頑張っております。
長々と書きましたが、この度の突然の訃報が誠に残念で成りません。
是非、稲尾記念館を一度訪ねたいと考えております。
いずれ、テレビで生前の勇姿を拝見する事になると思いますので、ビデオを撮って、見たいと考えております。
最後に、心よりご冥福をお祈り致します。合掌
【男性】
稲尾氏のご逝去の報に接し、心よりお悔やみ申し上げます。
氏の活躍とともに、私のプロ野球への愛は生まれました。
日本シリーズの3連敗後の4連勝。あのとき、私は6歳で福岡は久留米で育っておりました。
その後、自然の流れで西鉄ファンに。黒い霧事件に心を痛め、球団身売りでファンをやめようか、そういう思いを止めさせてくれたのが、稲尾氏の存在でした。
心ならずも現役を退き、中西氏の後の監督就任。さぞや苦しい胸中だったことでしょう。
一時、中日に身を置かれましたが、最後までパ・リーグを、そして福岡を、何よりプロ野球を愛された稲尾氏。
ぜひとも、「稲尾」の名を残した賞の開設を切望するものです。この思いは、多くの方も同じでしょう。
小さな声が大きなうねりとなって、野球界に「稲尾」の名を残せれば、そう願ってやみません。
【男性】
稲尾さんが亡くなったと聞いて残念に思いました。
もうテレビや新聞でもお目にかかれないのですね。
ご冥福を祈ります
稲尾さんの人柄を真似たいです。
【男性】
訃報を聞き驚きました。
私の父は大分出身で稲尾さんと同じ昭和12年生まれで、稲尾選手の大ファンだったらしく、よく稲尾さんの活躍を聞いてました。
「稲尾以上のピッチャーはおらん!」と良く言ってました。
稲尾さんが残した物は数字だけの成績だけで無く、今と違い豊かでなかった時代に、多くの人々に感動を与えてくれてそれを目の当たりにした人々が子供にも伝えて、多くの財産を残していただいたと思います。
ご冥福をお祈り申し上げます。
【男性】
偉大なる鉄腕、最強の侍、とてつもなくやさしい親父。
「稲尾さん、早すぎるよ・・・・・・」
私は稲尾さんの訃報を聞き、そう思うと絶句した。次の瞬間涙が溢れ出してきた。
今日は仕事もなかなか手につかないだろう。それぐらいショックだった。
私は稲尾さんと落合(博満)さんが大好きだ。そしてこの二人は私にとって転機の際に必ず最高のヒントをくれる大切な存在だ。
現在の一部の堕落したプロ野球を見るたび、いつも稲尾さんと落合さんのロッテ時代のツーショットが頭に浮かぶ。
稲尾さんは伝説になった。永遠に色褪せることのない伝説に。
稲尾さん、本当にお疲れ様でした、そして、ありがとうございました。
合掌
【男性】
稲尾律子様へ
プロ野球 fan として稲尾和久さんの死去を僕の耳に届いてくることは本当にさびしいです.
その方がしっかりがんばって fan にたくさんいい大切にする思い出を与えてくれました.
日本, 野球界は誇るべき方でした.
和久さんの大好きな奥様にも, 他の稲尾家の方々にもがんばって下さいといいたいです.
僕のいまいちの日本語ごめんなさい.
As a fan of Japanese baseball, I was very saddened to learn of the death of Mr. Inao. He lived a full and interesting life and always gave 100% while providing his fans with moments they will cherish for a lifetime.
I send my sincerest best wishes to Mr. Inao's beloved wife Ritsuko and his family.
【男性】
突然の訃報に接しまして、心よりお悔やみ申し上げます。
出身は福岡ではありませんでしたが、福岡に5年住んだ中で、福岡での西鉄ライオンズの稲尾和久は、まさに神様にも等しい存在でありました。
著書『神様、仏様、稲尾様』も何度も読み返しました。
【男性】
稲尾和久様の訃報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。
昭和31年生まれの兄と昭和33年生まれの私達兄弟(北九州市)は正に稲尾投手の全盛期、西鉄の黄金期に生を受けました。
小学生になって野球好きになった頃、いつも周囲の大人から西鉄黄金期の強さ、中でも稲尾投手の凄さを聞いて育ちました。子供の頃、家族で小倉球場に西鉄の試合を見に行ったとき野球を全く知らない母が「稲尾が(ブルペンで)投げとるそうよ。」と言った言葉を今でも覚えています。
稲尾投手は九州人の誇りでした。70歳という若さで旅立たれたことは残念でなりません。
もし出来ることであれば、稲尾という大投手の記憶のためにもこのホームページを何時までも残していただけないでしょうか。
【男性】
稲尾投手は私の少年時代に熱狂をいただいた人でした。
私は岐阜県の田舎で西鉄の快進撃を稲尾投手の快刀乱麻のピッチングを、いつもラジオに噛り付いて聴いていました。当時はラジオを通じて野球の試合を楽しむ時代でした。毎日曜日の午後6時20分からの福助提供スポーツアワー番組は、僕の大きな思い出です。
当時はダブルヘッダーでした。
第1試合は午後3時ぐらいから始まったでしょうか。
そのニュースで西鉄が第1試合を稲尾投手の快投で勝ち、第2試合も4回を終わって西鉄が3対0で勝っているニュースがあると、私は天にも昇るほどに有頂天になっていました。
7時からの実況中継が待ち遠しくて待ち遠しくて仕方がありませんでした。
7時なって野球中継になると第2試合も西鉄がリードを保ち、7回から稲尾投手が出てくると勝った勝ったと喜んだものでした。
こんな思い出をたくさん作っていただいた稲尾さん、私の少年時代のすべてでした。
有難うございました。
今はご冥福を祈るばかりです。
近いうちに稲尾記念館を訪れ思い出に浸る時間をいただきたいと願っています。
【男性】
突然の訃報で残念でなりません。
私は現在43歳です。
会社員ですが、高校から社会人野球へ進み現在も大好きな野球と関われていられるのも稲尾さんの影響を受けたからです。
高校2年の秋に稲尾氏著の「鉄腕一代」に巡り合い、目からうろこが落ちました。
それから私の野球に対する考え方、取り組みか変わりました。
何度も繰り返し読み努力することを覚え、上達することが楽しみになったのです。
運良く高校卒業と同時に社会人野球の企業に入社することができ、選手・コーチとして関わることができました。
今も「鉄腕一代」は私の宝であり教科書です。
道に迷った時ふと気付くと本を読んでいることがあります。
心よりご冥福をお祈り致します。
【男性】
私は現在山形県で医師をしております。
昭和32年福岡市生まれで小学校5年になるまで、香椎に住んでおりました。父に連れられて平和台球場に西鉄の野球をよく観に行きました。
私にとって、野球選手と言えば、稲尾さんであり、中西さんでした。個人的に好きなのは船田選手でした。
福岡を離れいろいろな所住みましたが、今でも、野球と言えば西鉄であり、ピッチャーといえば稲尾さんでした。
こんなに早くお亡くなりになってとても残念です。
ご冥福をお祈りします。
【男性】
心よりお悔やみを申しあげますとともに、本当に「夢」をありがとうございました。
私は昭和37年福岡市生まれの45歳。3才の時に大阪に転居し、初めてプロ野球観戦をしたのが今は亡き父に連れて行ってもらった昭和44年(7才、小学校1年生でした)の西宮球場での「阪急ブレーブス対西鉄ライオンズ」戦でした。
稲尾さんが引退された年です。福岡暮らしが長かった父ですが、何故か南海ホークスの大ファン(中でも、野村・現楽天監督の大ファン)。西鉄は憎悪の的であったはずが、父が予約した座席は三塁側、つまり西鉄ライオンズ側の席でした。
当時はパリーグは阪急の黄金時代(西鉄は凋落の一途)とは言え人気がない球団でしたので、一塁側も難なくチケットが取れたはずですが。
試合開始前、父が私に向かって「おい、グランドの前まで行くぞ」と言い、スタンドを駆け下りました。そこにはピッチング練習をする稲尾投手が・・・。
父は私に、「こいつがいたから南海は勝てなかったんだ」と言うや、稲尾さんに向かって「神様、仏様、頑張れよ~」というようなことを叫びました(たぶん、酔っ払っていました)。
すると、稲尾さんがこちらを見て笑ってくれたのです。
少なくとも、私の記憶の中ではそうなのです。
この体験以前から、私が普段からかぶっていた帽子は黒に「NL」の文字の西鉄の帽子でした。
関西でも阪神タイガースの帽子すらそれほど売られておらず、みんながジャイアンツの帽子をかぶっていた時代です。
その「NL」の帽子を父はどこで仕入れてきたのか・・・?
父は南海のファンであったと同時に、熱烈な稲尾ファンだったのです。それほどの魅力のある野球人だったのでしょう。
私は、その後の人生を野球と直接接する、つまりプレーするということはありませんでした。ファンとして関わってきただけです。
それでも「昭和44年」。稲尾さんの現役の姿にかろうじて「かすった」ことは誇りに思います。
私はプロ野球のテレビ解説で活躍されていた稲尾さんのご尊顔を拝見するにつけ、「日本シリース3連敗4連勝」とか「シーズン42勝」とかいうことよりも、あの38年前の西宮球場で私と南海ファンの亡き父に向けてくれていた(と信じている)満天の笑顔を思い出します。
【男性】
好きな野球解説者といえば、山田久志さんや森昌彦さん(今は改名したが、私はこう呼んでいる。)などです。
稲尾さんのことを最初に知ったのはかつてABC朝日放送の解説者であったときに、私は大阪府柏原市の出身ですがテレビの野球中継の新聞欄に「解説・稲尾和久」とあって、稲尾さんてどんな選手だったのだろうかと思って調べたらビックリでした。
神様、仏様、稲尾様といわれた西鉄の大エースでシーズン42勝の記録を持った選手だったのです。
解説者としての稲尾さんは温かみのある声で聞いている側の私の印象は、穏やかな人という感じです。
晩年は活動の拠点を福岡の方にされていたので、なじみが少なくなっていました。
だが、たまに全国区の番組で出演されてる時は元気だったので、今回の訃報にはびっくりです。
楠淳生さん、伊藤史隆さん、植草貞夫さんなどのアナウンサーも衝撃を受けていることでしょう。
稲尾さん、安らかにお眠りください。
【男性】
稲尾さんの野球中継の解説、とても分かりやすく好きでした。
理想のじいちゃんって感じです。
稲尾さんのことはいつまでも忘れない・・・ずっと忘れない・・・安らかに
【男性】
引退後も威張ることなく温和に話をされるのがヒーローに相応しいと感じていました。70歳は早すぎます。
大分県出身のヒーローとして大横綱双葉山に並ぶものです。
ご冥福をお祈りします.
【男性】
鉄腕広場コーナーのQ6と7を投稿し回答していただいたものです。このたびの訃報を聞いてただただ悲しみに暮れています。
私は青森県生まれで、もちろん直接稲尾さんとお話したことはありませんが、私の人生に多大なるエールを送っていただいたと感謝の気持ちで一杯です。
残された奥様、愛娘様、時間が解決してくれることも多々あります。
稲尾和久は死んでいません。私たちの心の中で生きております。
ただただありがとうございましたと言うのみです。
【女性】
突然の訃報に驚きを感じております。
先日、テレビで稲尾さんを拝見した際、稲尾さんがとても痩せておられて心配しておりました。
こんなに早く逝かれるなんて・・・今でも信じられません。
私は、小学生の頃から稲尾さんの大ファンでした。
連日連夜活躍する稲尾さんは、私の青春そのものでした。
昭和33年の3連敗後の4連投4連勝!!!!!その後の42勝!!!忘れられません。
稲尾さんのプレーする姿だけではなく、野球に対する真摯な態度・精神に対しても尊敬の念を感じておりました。
稲尾さんのような選手は、今後現れないのではないかと思います。
現役を引退後、西鉄ライオンズの監督の際には、黒い霧事件など大変なことも多くあり、苦労されたのではないかと思います。
この時はとても心配で励ましの手紙を書いたほどでした。
私事ですが、私には息子がおります。その息子の名前は、'和久'。
もちろん稲尾さんの名前をつけさせていただきました。
稲尾さんのように強く、温かい人間になってほしいと願いを込めました。
息子には、稲尾さんがどんなに偉大な野球選手だったのかよく話をし、今では息子も稲尾さんを尊敬しております。
稲尾さん、あなたにはまだまだ、長生きしていただきたかった。とても残念で寂しいです。
ご冥福をお祈りします。
【男性】
あまりの急逝に驚くばかりです。
小学生の時に背番号24を小倉球場で見たことが思い出されます。
全盛期を過ぎたころでしたが、先発コールを受けた時の観客の拍手と歓声がいまでも耳に残っています。記録でも記憶でもいつまでも残る方だったと思います。
ご冥福をお祈り申し上げます。