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第10回:18歳の胸突き刺した三原監督

◇卒業式の案内
稲尾は「三原監督は、雲の上の人」と当時を振り返る

 苦しかった初めてのキャンプも終わりにさしかかった。プロ野球選手なら今も昔も変わらないだろう。キャンプが楽しいと思う人間は少ないはずだ。ようやく厳しい練習の日々から解放される。ましてや、年末年始の帰省後、正月明けから西鉄ライオンズの合宿所に戻り、練習漬けの毎日を送ってきただけに、稲尾はちょっぴり古里・別府が恋しくなっていた。そんな時、稲尾の元に卒業式の案内が届いた。

 「2カ月も練習の日々だったし、卒業式には帰れるだろうと思っていた。友だちと会えるのを楽しみにしていたんだけどなあ」。

 高3の夏、別府にある高校の野球部の監督の自宅で、部員とともにすき焼きをたらふく食べた。生まれて初めて食べた牛肉の味。仲間の笑顔…。そんなこともふと、思い出した。久しぶりに友人たちとも会いたい…。まだ18歳の少年がちょっぴりホームシックにかかるのは当然のことだった。

◇初めての会話

 だが、強烈なひと言が稲尾の胸を突き刺した。三原監督である。キャンプ中、三原監督と言葉を交わした記憶はほとんどない。「稲尾君!」、そう呼ばれて監督の元に駆けつけると、三原監督は遠くを見つめたまま、淡々とした口調で言った。

 「人生の思い出のために卒業式に故郷へ帰るのか、自分の一生の仕事のためにここに残って、力を伸ばすのか、君の好きなように決めなさい」―。

 思いもよらない言葉だった。稲尾は別府に帰らなかった。いや、帰ることができなかったと言ったほうが正しいかもしれない。決断は稲尾に任される形となったが、こう言われたら、帰ることはできるはずもない。後年、稲尾は三原監督の口から何度もこんな言葉を聞かされている。

 「プロ野球選手はシーズン中は親の死に目に会えないことを覚悟しなさい」。 やはり、プロの世界は厳しい。そう思い直し、故郷の空はしばし頭から消した。

 「三原監督は、雲の上の人という感じだったし、キャンプ中も監督さんと話すことなどなかった。その人と初めて話したのが卒業式のこと。ショックだったけど、プロに入ったんだからと気持ちを切り替えるしかなかった」。

◇遠征メンバー

 キャンプが終わって、福岡に戻った。キャンプでは1度もブルペン投球することがなかった稲尾だったが、朗報が待っていた。寮にオープン戦の遠征メンバーが張り出された。自分の名前があった。遠征先でも相変わらず打撃投手の役回りということは分かっていたが、うれしかった。「自分の一生の仕事のために力を伸ばすのか…」。三原監督の言葉が何度も耳の奥で響いた。【佐竹英治】

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