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第12回:寒風オープン戦でも淡々と結果

◇運気を呼んだ
54年、西鉄監督時代の三原脩氏

 オープン戦の遠征メンバーに選ばれた稲尾だったが、役回りは相変わらず打撃投手と雑務だった。当時は2月後半から試合が組まれ、寒風吹きすさぶ中での投球は、西鉄の主力投手にとっては苦痛でもあった。それだけに、稲尾に回ってくるのは天候不順か大勝、大敗ゲームの「後始末役」であった。

 三原監督の回想-。日刊スポーツに連載した回顧録「風雲の軌跡 勝者の管理学」から。

 「『稲尾よ、打たれてもいいからね』。私はそう言った。『怖がらずに、思いっきり投げてこい』。コックンとうなずいて彼はマウンドに上がった。そして難なく中日を抑え切り、任を果たしたのである。が、その時点でまだ私は彼の『すごさ』に気づいていなかった」。

 新人投手にはそうそう登板チャンスは巡ってこない。だが、稲尾はみぞれ交じりで、寒風に指がかじかんでも、与えられた場面で淡々と仕事をこなした。オープン戦では快投というほどの成績こそ残していないものの、自主トレから2カ月足らずでメキメキと威力を増してきた投球に、ついにOKサインが出た。開幕を1週間ほど後に控えたある日、投手コーチでもあった川崎氏から「もう打撃投手はせんでいい」と告げられたのである。

 無名の高校から入団した無名の投手が、いきなり開幕切符を手にした。確かにプロの世界は実力がすべて。力がなければ、竹の皮のように容赦なくはぎ取られていく世界だ。だが、稲尾にはビルドアップした実力とともに、強烈な運気がオーラのように覆い尽くしていたようにも思える。

 再び三原監督の回想-。

 「(稲尾のオープン戦遠征帯同を)『コントロールがいい。打撃投手にでも使うか』と、軽い気持ちで思いついたものだ。それが彼のデビューにつながる。不思議な糸の結び目である。(中略)ツキで言うなら、強運の男と、こうも思える。与えられたチャンスを確実に生かし切る男-と」。

 もちろん、運だけで「鉄腕」に上りつめられるわけはない。だが、稲尾がプロ野球人生を振り返ったとき、どうしても帰結する言葉がある。漁師だった父の仕事を小2の時から手伝い、おやじの背中から体の芯(しん)に染み入るように感じ取ったものだ。

 すべてを素直に受け入れること-。

 「漁師というのは自然の恵みで生きている。台風の時は漁には行けない。環境に順応するというか、そういうおやじの姿をずっと見てきたから」。

 運気も呼び寄せるほどの素直さ。実は「鉄腕」と呼ばれた男の最大のファクターだったのである。【佐竹英治】

 ◆漁師だった父の思い出 稲尾の父久作は大分・別府湾で糸釣りの漁師だった。伝馬船の艪(ろ)をこぎ、夕方から朝方にかけて漁をした。稲尾は小2の時から父を手伝い、船のこぎ方から漁のイロハを教わった。ある日、スズキが3本かかった。3本もスズキが上がると大漁だった。稲尾によれば「売った金で1カ月は飯が食えた」という。「もういいかのう」。そう言って父が帰り支度の準備をしていると4匹目のスズキが針にかかった。だが、久作は魚の口から針を外すと、海へ返した。稲尾は子供心にもう1匹釣るとどれだけ母親が喜ぶだろうか、と思った。そんな息子の思いを断ち切るように久作は「今逃がした魚は釣れないときに、かかってくれる」と言ったという。稲尾は60年ほど昔の出来事を今も強烈に覚えている。

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