第13回:開幕戦に突然の登板指令
◇6回11-0
稲尾のプロ初登板はいきなり巡ってきた。1956年(昭31)3月21日、本拠地・平和台球場で行われた大映との開幕戦である。ほんの2カ月ばかり前、期待と不安と、そして畏怖(いふ)の念を感じながら初めて立った「聖地」に、ルーキー右腕が背番号「24」の真新しいユニホーム姿で博多っ子ファンの前に登場した。
稲尾は6回から中継ぎ&抑えとしてマウンドに上がった。開幕投手は母校・別府緑ケ丘高校の先輩でもあった河村だった。西鉄打線の大爆発と河村の好投で5回を終わって11-0の大勝ムード。ベンチの三原監督は早々と、河村にお役ご免を告げると、新人稲尾を6回からマウンドに送り込んだ。
◇「無我夢中」
三原監督の回想録によると、稲尾の初登板について「調べてみると、彼の初登板は(昭和)31年3月21日、何と開幕日である。ピシャリと抑えたといっても、大差の余裕があったのかもしれない」と、語っていることから、それほど期待を込めての投入だったわけではないことが分かる。4イニングを無失点に封じ、先発の先輩河村との完封リレーを完結させた稲尾だったが、1度の投球で4回零封といっても大勝の流れに乗ったものというのが首脳陣の大方の見方だったようだ。当の稲尾にしても初登板は緊張感に包まれながら無我夢中で投げた。
「先輩の河村さんが好投していたし、突然呼ばれてマウンドに行くことになった。それからは河村さんの白星を消してはいけないと思って必死で投げた。とにかく夢中で投げた」。
◇無四球0封
打者14人を相手に4安打、4奪三振。バッタバッタと切って取ったというわけではないが、大器の片りんをうかがわせたのは四死球ゼロの安定感だ。多くの投手は「緊張してストライクを取るのに必死だった」と、プロ初登板を振り返ることが多い。豪腕といわれた投手でも四球の1個は出すものだが、稲尾は自慢の制球力で無駄な走者を1人として塁に送ることはなかった。
2試合目の登板で先発が回ってきた。4月5日の高橋戦だった。7回を3安打無失点に抑えたが、打線も相手投手を攻略できず勝ち負けなしの状態で降板した。その後はほとんどが中継ぎ登板。開幕から南海との二重契約問題のためにペナルティーの出場停止を受けていたライバル畑も、ようやくチームに合流した。5月6日の近鉄戦で先発した畑はあっさりと完封劇でプロ初勝利を挙げた。新人2人の起用法からして首脳陣の期待度の違いがうかがえた。
「何とかしなければ…」。のんびり屋の稲尾もちょっぴり焦ってきた。【佐竹英治】