第16回:直球だけで1年目21勝
◇0・5差逆転V
新人稲尾の存在感は日を追うごとに大きくなっていった。稲尾、島原を中心に終盤戦は首位南海を猛追撃した。1956(昭31)残り30試合となった時点で、首位南海とは7ゲーム差。稲尾は9月下旬の南海との5連戦で2勝を挙げるなど9月は月間6勝。10月もしっかり2勝を稼いで、0・5ゲーム差の逆転Vに大貢献した。1年目の成績は61試合262回1/3を投げ、21勝6敗、防御率1・06。堂々の新人王に加え、最優秀防御率のタイトルも手中にした。両タイトルに隠れてあまりクローズアップされることはないが、この年打者981人に対し、打たれたホームランは山内和弘(毎日)と松岡雅俊(東映)に許した2本のみだった。いずれもリリーフ登板の時に被弾しており、22試合あった先発登板では被本塁打ゼロだった。
「野球人生の中で、1年目のシーズンは大きなウエートを占めていると思う。意気に感じて投げる、ということを1年目から植え付けられたような気がする。プロ1年目から優勝できたという感激は、何事にもかえがたい体験だったし、そういうチームにいたからこそ、活躍できたと思う。俺にとっては本当に大きな財産となったシーズンだった」。
◇年間2被弾
無我夢中で投げ続けたルーキーシーズンだったが、完全ローテーション入りした終盤にはすでに19歳の稲尾にプロの自覚というものが生まれていた。確かに逆転Vを狙うチームの勢いに押され続けたのかもしれない。知らず知らずのうちに「常勝」という気持ちが稲尾の心の中に宿っていた。
◇主戦の自覚
「1年目の後半は主戦投手になっていたし、いつの間にか『俺が負けるということは、チームが負けるということ』という気持ちが強くなった」。
全力投球で駆け抜けた1年目のシーズン。驚くべきことに、この年の稲尾の持ち球は直球だけだった。伝家の宝刀・スライダー、シュートはまだなかたった。外角に投げたストレートが外に、内角に投げたストレートがより内にナチュラルで変化することはあっても、基本的に球種は1つ。文字通り「真っすぐ勝負」の1年だったわけだ。当時のバッテリー間のサインは簡単なものではあったが、稲尾の場合は人さし指1本(直球のサイン)を外に向けるか、内に向けるかだけのごくごく単純なものだったという。
「今考えてみれば、すべて直球の握りだけで投げていたし、あれで抑えられたんだよなあ」。 ウソのような本当の話である。【佐竹英治】