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3年目「直球だけ」からの変身

57年のオフ、臼杵の石仏を見学する稲尾和久氏
◇スライダーとシュート

 親父(おやじ)が死んだ。だが、悲しみに暮れてばかりもいられない。3年目のシーズンは待ったなしでやってくる。自主トレ中から看病などで別府に戻ったりの日々が続いていた。精神的にも満足のいくキャンプは送れなかったが、エースに上り詰めた稲尾に甘えは許されなかった。

 「親父が亡くなったことで、数日間キャンプから離れた。自主トレ中にも別府に戻ったりしていたから、確かにキャンプ前半は練習に集中できなかったこともあるが、あの年は過去2年の経験も踏まえて早めに体を仕上げようと思っていた。本格的にスライダーとシュートを投げようと思って、2年目のシーズン後半から自分なりに指のかけ方とかをテストしてきた」。

◇爪の保護にマニキュア

 直球だけで勝負してきた過去2年から、さらなる飛躍を誓って、のちに伝家の宝刀といわれるスライダーとシュートの球種を本格的に投げ始めた。これまでは直球がナチュラル的に変化していたのだが、この年から意識的に指先を使って変化させることに取り組んだ。キャンプ中盤からはブルペン入りすると、ほとんどがスライダーとシュートのコントロールをつけるための投げ込みであった。

 「58年のキャンプではスライダーとシュートの完成が最大のテーマだった。これまでの2年間とは立場も変わったし、とにかく相手打者を打ち取るためには、球種を増やして自分のものにしないと、と思った。前の年から少しずつ取り組んではいたんだが、キャンプでしっかり身に付けることができた」。

◇教わらずに自分で工夫

 稲尾が投げるスライダーとシュートは指先の微妙な感覚が要求される。右投手が投げるスライダー(右打者の外角へ逃げるように曲がる球)は、右手中指をひねるようにして投げ、シュートは人さし指を押し込むようにする投手が多いようだが、稲尾の場合は違う。スライダーはボールをリリースする瞬間に縫い目にかかった人さし指の先をピッと切るようにして投げ、シュートは同様に中指先を切るようにして投げる。手首を大きくひねったりしないのが特徴だ。そのため爪が割れることが多く、稲尾は3年目から保護のためにヤスリで爪を磨き、マニキュアを塗ることが毎朝の日課となった。

 「スライダーとシュートの投げ方は、特別、誰かに教わったということはない。だって当時の西鉄は、先輩にそんなことを聞くと『いくらくれる?』と手が出てきていたしね。自分で工夫しながら身に付けたよ」。

 ちなみに当時、稲尾の握力は右手5本の指で握ったときと親指、人さし指、中指の3本で握ったときの数値は同じだったという。キャンプではスライダー、シュートを連日100球以上も投げ込み、自分のものにしていった。【佐竹英治】

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