シリーズ直前40度の熱にうなされた
◇3試合で2敗
父久作がペンダントの中から息子に力を与え続けたかどうかはわからない。だが、3年連続となった巨人との日本シリーズで稲尾は「神様、仏様」にまで上り詰めてしまう。西鉄は3連敗からの4連勝で3年連続の日本一に輝いた。史上初の大逆転ドラマの主役は文句なしに稲尾だった。
今も語り継がれる西鉄の大逆転劇を振り返ってみよう。
運命のシリーズは1958年(昭33)10月11日、敵地・後楽園球場で幕を切った。第1戦、西鉄の先発投手はもちろん稲尾だ。当然の開幕投手だが、実はシリーズ開幕5日前に稲尾は40度ほどの高熱にうなされていた。シリーズ前練習には顔を出していたが、まったくといっていいほど調整はできていなかった。案の定、不安がいきなり的中した。
第1戦 稲尾は初回2死一塁からルーキー長嶋に右翼線へタイムリー三塁打を許し、あっさり先制された。3回には広岡にソロ、続く4回にも1点を許し4回7安打、3失点(自責2)で降板。結局、巨人打線に計16安打を浴びせられ、2-9と完敗した。
エース稲尾のKOは翌日(12日)の第2戦にも大きく響いた。
第2戦 初回から巨人打線が爆発した。西鉄先発の島原をいきなりノックアウト。打者一巡の猛攻で7点を奪い、早々と勝負を決めた。西鉄打線も豊田の2戦連続本塁打などで3点を返したが、反撃もそこまで。3-7で連敗した。
前年の57年は巨人に1敗も喫することなく日本シリーズ連覇を達成している。だが、3度目の対決はいきなり連敗スタートとなった。
「西鉄というのは不思議なチームでね。あの年、後楽園で1、2戦と連敗した。でも、チーム内にまだ悲愴感というのはなかった。シーズン中、球場から宿舎の旅館までバスで帰るんだが、負けた試合でも選手たちはしょんぼりするどころか、サバサバした感じで暗さがない。そんなナインの顔を見て、出迎えた旅館の人が『あら、今日は勝ったんですか?』なんて言われたりしたからね。シリーズでも2敗はしていたけど、まあ、次は地元平和台で戦えるしと思っていた」。
発熱の影響で開幕黒星を喫した稲尾だったが、徐々に体力も回復していたし、何より本拠地で仕切り直しの意気込みの方が強かった。
移動日。チームは福岡に戻ってきた。稲尾は中2日で地元初戦となる第3戦に先発登板した。
◇チーム3連敗
第3戦 稲尾VS.藤田。シリーズ開幕戦と同じ両エースの対決となった。稲尾は3回、広岡にタイムリー三塁打を許し1点を失う。この1点が決勝点となり、0-1完封負け。藤田(4安打)より少ない3安打完投も無念の敗戦投手となった。
開幕から●●●。稲尾は3試合のうち2敗を喫した。いよいよ西鉄は徳俵に追い込まれてしまった。 【佐竹英治】
