初のV逸で胸にポッカリ穴
◇個人では30勝も
西鉄のリーグ4連覇はならなかった。稲尾は30勝を挙げたものの、59年のペナントは南海がさらって行った。日本シリーズ3連覇を達成した58年オフ。大逆転を許した南海の杉浦忠投手(故人)から痛烈な言葉を浴びせられていた。杉浦とともに日米野球に参戦していたときのことだ。名古屋遠征で先輩中西、そして杉浦とともに食事に出かけた。杯を重ねるごとに杉浦の語気が強くなっていった。宴もお開きになったとき、突然杉浦が叫んだ。
「(中西)太さん、稲尾、ここに座れ!」。
2人を料亭の廊下に座らせると、杉浦はギロリとひとにらみして言った。
◇南海杉浦の逆襲
「来年は絶対勝つからな!」-。
杉浦にとって雪辱を果たしたシーズンとなった。38勝を挙げ、パ・リーグ記録を更新すると巨人との日本シリーズも4連勝。御堂筋に涙と紙吹雪が舞った。稲尾にとって強烈なライバルの出現だった。普段は物腰の柔らかいジェントルマンの逆襲に稲尾のハートもさらに燃えた。
「59年は優勝を逃してしまった。南海の杉浦さんからは前年のオフに『来年は絶対に勝つからな』と言われていたし、何と言っても38勝を挙げて4敗しかしていないんだからな。敵ながら杉浦さんアッパレ、という気持ちだったけど、同時に今度は悔しさがこみ上げてきた」。
個人的には30勝を挙げたものの、稲尾にとって初めて味わう屈辱のシーズンでもあった。入団1年目から3年連続で日本一に輝いた。王者ライオンズの一員として優勝が当たり前だっただけに、シーズン終了後はポッカリと胸に穴が空いたような気持ちだった。
「優勝というのはそう毎年毎年できるものじゃないけど、オレにとっては入団からずっと勝っていたし、優勝するのが当たり前みたいになっていたんだな。それが初めて南海に負けて優勝を逃した。1年目から日本シリーズのひのき舞台で投げていたし、それがこの年はないわけだ。シーズンが終了するとすごい挫折感が襲ってきた。試合で投げて負け投手になった悔しさとはまったく違う悔しさがあった。シーズンは南海の独走のような感じだったけど、オレ自身は何で優勝できないんだ、と悶々(もんもん)とした気持ちがずっとあったから」。
◇ゴルフで忘れた
シーズンが終わると、稲尾は球団にも内緒で姿を消した。3日間ほどだったが、何とも言えない脱力感、虚無感を癒やしたかった。熊本・阿蘇の温泉につかりながら大好きなゴルフにどっぷりと浸った。
「59年は優勝を逃してしまった。南海の杉浦さんからは前年のオフに『来年は絶対に勝つからな』と言われていたし、何と言っても38勝を挙げて4敗しかしていないんだからな。敵ながら杉浦さんアッパレ、という気持ちだったけど、同時に今度は悔しさがこみ上げてきた」。
「3日間、毎日ゴルフをやったなあ。とにかく野球のことを忘れたかった。本当に悔しかったもんな」。
無心でクラブを振り続けていると胸のモヤモヤも晴れた。「人生、いいことばかりでも悪いことばかりでもない。勝ちっぱなしもなければ負けっぱなしもない。何も考えないでゴルフに没頭していたら、ふとそう思えてきた。そしたら気持ちがスッーとした。もともと気持ちの切り替えは早い方だから」。
杉浦の超人的な活躍もチームのV逸も今後の糧とすることで気持ちを奮い立たせた。このオフ、三原監督がチームを去った。稲尾にとって本当の意味で1人立ちの年となった。【佐竹英治】
