64年6戦・・・「チームのため」とは
◇栄光は捨てる
プロ入り8年で234勝を稼ぎ出した「鉄腕」は64年シーズン、1勝も挙げられなかった。6試合に登板し、0勝2敗に終わった。たった11回1/3を投げただけだった。前年から続いた肩の違和感は春が来ても取り除かれることはなかった。
「シーズンが始まったら、焦った。『早く治さないと』と気持ちばかりが焦ってしまった。結局64年は6試合しか登板できなかったけど、7月までそんな気持ちでずっといたからすべて中途半端になってしまった。これまで8年間活躍したプライドを背負っていたし『何とかしなくちゃ』とばかり思ってしまったんだな」。
焦る気持ちに踏ん切りをつけたのは「栄光」との決別だった。「これまでの栄光は捨てよう」。稲尾はようやく7月になって気持ちの整理をつけた。
人生最大のターニングポイントとなった64年シーズンを振り返って稲尾は言う。
「最後の優勝となった63年シーズンで、肩の違和感があったけどチームのために投げた。大逆転の優勝となったけど、その時点では優勝できたからチームのためにはなったのだろう。でも、それは短いスパンで見た場合。その年の優勝には貢献できたから。でも、本当の意味でチームのため、というとどうだろうか。結局、翌年から勝てない投手になってしまった。長いスパンで見るとチームのためになっていないんだな。今となって振り返ってみたら、大きな矛盾に気づくんだが、その時点ではそんなことは考えられない」。
◇今でも投げる
しんみりとした口調でそう話す稲尾に続けて聞いてみた。
―もし今、現役の投手として、63年と同じようなシチュエーションになったら
稲尾 オレが選手としてまた同じようなパターンになったら? 治療するか、投げるか? うーん、やっぱり投げるんやろうな。さっきの話とはまた矛盾するかもしれないけど、投げてくれと言われれば、投げるやろうなあ…。
稲尾はやっぱり稲尾だった-。
7月から苦闘が始まった。熊本・杖立温泉に1人こもった。毎日山に登って空を眺めた。「このまま野球ができなくなったらオレには何があるのだろう…」。約1カ月、温泉につかり、山に登って肩を癒やす一方で、稲尾は自身の「心」と戦った。真っ青な夏空を眺め続け、背負ってきた栄光、プライド、不安…をぬぐい去った。
「やっぱり野球しかない」。
◇もう一度挑戦
福岡の自宅に戻って律子夫人に言った。「もう一度、野球に挑戦するから時間をくれ!」。
9月からは鹿児島・指宿に出向き、走り続けた。地元の人たちが日替わりで伴走してくれた。泊まっていた温泉旅館では新聞すら目を通さなかった。この年10月10日に東京五輪が開幕した。オリンピック一色に染まった日本列島の南端で稲尾は再起を誓った。【佐竹英治】
