第5回:伝説アーチの「証拠」に恐怖
◇まだ見ぬ先輩

- 57年、満員の平和台球場
平和台球場での合同練習初日は稲尾に強烈な「恐怖」も与えた。あこがれのグラウンドで初めて「プロ」として始動した。同期入団の仲間や、先輩たちとまずは外野に出てランニングに汗を流した。外野フェンスに沿って走っていると、ふとあるものが目に留まった。センター後方にあるバックスクリーンの屋根に立つポールにボールの形をしたマークが飾ってあったのだ。
「あれは何だろう?」。国旗掲揚のためのものではないようだ。不思議な思いで見つめながらランニングをしていたが、気になってしょうがない。マークの下には何か字らしきものが書いてあるが、グラウンドからでは読めない。練習中ではあったが、稲尾は勇気を出して恐る恐る先輩に尋ねてみた。「あのボールのマークは何ですか?」。先輩の答えは「中西が打ったホームランが、あそこを超えたから記念に飾ってあるんだ」ということだった。
◇投直が場外へ
今もなお語り継がれる中西太氏の伝説のホームランを記念した白球ボードだった。稲尾入団の3年前の53年8月29日。入団2年目だった中西が大映戦で林義一投手から放った打球は平和台球場のバックスクリーンをはるか見下ろし、場外に消えた。500フィート弾、推定161メートルの球界最長といわれる超特大アーチだった。先輩の言葉に稲尾は鳥肌が立った。平和台のグラウンドに初めて足を踏み入れたたとき「広いなあ」と、感激した稲尾の気持ちは、あっという間に冷めた。
◇「本当なんだ」
「ピッチャーライナーかと思われた打球がグングン伸びて、バックスクリーンを越えたといわれる中西さんの場外弾は、入団する前のことで、おれは見ていないが、話では聞いたことがあった。まさかそんな打球があるものかと…。でも、球場のポールにあったボールのマークを見たとき、本当なんだと信用した」。
逸話ではなく現実のホームランだった。稲尾は恐怖感を覚えた。この日の練習では中西とは会っていない。中西は正月休みで四国・高松の実家に帰省中だった。もちろん、実際の打撃を目の当たりにしたこともない。でも、しっかりと確信した。
「プロはあそこまで飛ばすのかと、そんな相手と、これからプロ野球で対戦することになるのか…と」。
稲尾は、ぼう然とポールの先にあるマークを見つめた。 母なる「聖地」に掲げられた白球ボードは、新人投手には不気味なほど誇らしげであった。【佐竹英治】
◆稲尾と平和台 平和台球場があった福岡城跡、舞鶴公園一帯は福岡市の桜の名所としても有名だ。開幕時期は平和台外周を満開の桜の花が覆い、桃白色に彩られる平和台球場は福岡の春の風物詩の1つだった。だが、現役当時の稲尾に桜に包まれた平和台の印象はないという。「みんな桜がきれいと、言っていたけど、現役時代は桜を見る余裕がなかったのか、桜が咲いているという記憶もないんだよ」。稲尾が初めて平和台の桜に目を奪われたのは、完全にユニホームを脱ぎ、評論家としてネット裏からグラウンドを見守る立場になった75年(昭50)春。「入団からずっと19年間、桜は目に入っていたんだろうけど、記憶にないんだよなあ。平和台に通い始めて20年目(評論家になった年)にして、こんなに桜が美しかったんだ、と感動した」。それだけ鉄腕は野球に集中していた?