第8回:打撃投手の日々
◇1時間480球
キャンプをおろそかにする者はシーズンで泣く-。プロ野球の世界では常識だ。高卒ルーキー稲尾にとって初めてのキャンプが長崎・島原で始まった。ただ、稲尾に期待の即戦力としての立場は相変わらずなかった。知将と呼ばれた当時の三原監督は後年、日刊スポーツ紙面に「風雲の軌跡 勝者の管理学」と題した4カ月にも及ぶ回顧録を長期連載した。その中で、三原監督は新人稲尾をこう振り返っている。
「正直言って、第一印象はそれほど『すごい』という印象はなかった。コントロールがいいから打撃投手にも使える。ま、投手はいくらいてもいい。そんな軽い気持ちだった」-。
直接、監督のこんなコメントを耳にしたら、どんな選手でもショックだろう。背番号「24」を背負った稲尾は、まだまだこの時、単なる「24番」の男であった。
だが、雲仙・普賢岳を望む島原の地は、期待外の少年の腕をメタリックに磨き上げていった。稲尾はキャンプ初日から打撃投手として投げ続けた。今のプロ野球では各球団とも専属の打撃投手が多数いるだけに、調整的にマウンドに上がることはあっても、投手陣がキャンプ初日から本格的に打撃投手を務めることはない。稲尾は投げ続けた。1時間ほど、主力打者に向かって黙々と投げ続けるのが新人投手の日課だった。
◇筋肉を形成
「1分間に約8球。単純計算して1時間で480球。たぶん、練習は3勤1休だったと思う。1クールで1200球は投げていただろう。それがキャンプ期間中ずっとだった。今の投手なら毎日、投げ込みということになるかな。まあ、それでも今は1日に400球も投げないからなあ。あれで肩の筋肉ができたのかなと思う」。
高校1年まで捕手だったこともあり、稲尾の投球テンポはほかの投手よりも速かった。1分間で2球ほど多く投げていたため、1日の投球数でも100球以上は差がついていた計算になる。ただし、漠然と投げ続ければいいというわけではない。打撃投手は打者に打たせなければならないが、同時に投球の中から「打ち取る」技術も習得しなければならない。それだけに大下、中西、豊田、関口…。強打者が居並ぶ西鉄打線と対峙(たいじ)することは最高の教材でもあった。
◇制球力向上
「中西さんや、豊田さんには、キャンプ初めの頃、思いっきり投げてもポンポンとはじき返されていた。それもほとんどが場外弾。さすがにプロはすごいと思った。外角の球を投げると、当時は投手用の防御ネットがなかったので、すさまじいピッチャー返しが飛んで来る。だから、3球に1球は打球を詰まらせようと、内角に投げ込んでいた。コースで打球方向が読めるようになったし、コントロールもそれまでより良くなった」。
とはいえ、背番号「24」は、ほとんどブルペンに入らしてはもらえなかった。【佐竹英治】