鉄腕の歩み 鉄腕の栄光 鉄腕グラフ 日刊スポーツ連載 鉄腕人生

 

稲尾和久やこのサイトへのご質問、ご意見を承ります。ご返答できるものはこのページでご返答します。

名前:
メールアドレス:
性別 男性 女性
ご質問、ご意見等お寄せください。

ご質問への回答
Q9 現役当時、体をどのようにケアしていた?  当時はスポーツ医学などの知識がまったくありませんでした。別府生まれですし、オフに温泉に入るとか、電気治療などをするくらいでした。もっと体について勉強しておけば、という後悔の気持ちは今でもありますね。
Q8 現代の投手はなぜ連投できない?  今の選手も連投はできるのでしょうけどね。でも、連投の条件というのはただ投げる、というだけじゃダメなんです。チームの勝利につながらないといけないわけで、抑えるかどうかわからない投手を連投させたりはしません。もちろん、時代も変わって今はそんな使い方をしませんが、できる選手はいると思います。
Q7 榎本喜八選手が一番怖い打者だった?  恐いという意味ではないけど、やはり榎本さんは苦手な打者の1人でしたね。打席で何を待っているかさっぱり分からないところがありましたね。 ※榎本喜八さんは1955年毎日(現ロッテ)に入団し、首位打者を2回獲得。「安打製造機」と呼ばれた天才打者でした。
Q6 カウント2-3からボール球で三振を狙ったのは本当?  そういうケースもありましたね。「稲尾はコントロールがいい」という先入観が打者に はあったし、カウント2-3からボールは投げないだろうという相手の考えを逆手に 取って、きわどい所に投げたりしていました。
Q5 どうしてそこまで体を酷使し続けられた?  丈夫な体を親から授かったというのは絶対原則ですね。それと僕らの時代は自然の環境の中で育って、遊びがトレーニングのようなものでしたから。いつも裸足で遊んだし、海にいつまでも石を投げ続けたりしたものです。試合で酷使されたとは思っていません。あの時代は「チームのために投げる」というのは当たり前でしたから。
Q4 今季(07年)のソフトバンクの戦力を昨季と対比したら?  打線が強化されましたね。ズレータが抜けたとはいえ、多村、小久保が加入。 昨年は得点力が悪かったけど、今年は解消できるのではないかと思います。昨年よりも打 線のつながりはよくなるでしょう。 ※07年2月9日時点
Q3 全盛期、球速は何キロくらい?  150キロくらいは出ていたんじゃないでしょうか。中日の投手コーチ時代に小松辰夫投手が投げたスピードガン表示を見て「ああ、オレもこのくらいの速さはあったなあ」と感じたことがあります。
Q2 鉄腕と言われる由来は?  当時の「エース」と呼ばれる投手は、先発・リリーフの双方をこなすことが当たり前でした。私の場合も入団2年目の1957年にチーム試合数の半分を超えて登板しました。同年7月から10月にかけて20連勝しましたが、そのころ新聞に「鉄腕」の見出しが載り始めました。現代の先発投手の2~3倍の登板数、投球回数を投げながらも連勝を続けたことからでしょう。肩がどんなに重くても投げ続けられたのは、ファンの皆様の声援が私をマウンドへと駆り立てたからです。
Q1 西鉄ライオンズとは?  福岡市・平和台球場を本拠地としたパ・リーグ球団で、西武ライオンズの前身です。創設は1951年(50年創設西鉄クリッパーズと西日本パイレーツが合併し誕生)で、リーグ優勝5回(1954、56~58、63)日本一3回(1956~58)。 1972年、西鉄が球団を譲渡し、太平洋クラブライオンズとなりました。日本シリーズで巨人を3年連続で破った1956~58年が黄金期でした。三原脩監督のもと「野武士軍団」といわれた個性の強い選手たちが無類の強さを発揮しました。